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第2話 選ばれなかった数値

Author: 東雲明
last update Petsa ng paglalathala: 2026-06-16 16:51:24

 白い扉の前で、俺は足を止めた。

 測定の間。そこへ向かうまで、ミユウは俺の手首を掴んだまま、迷いなく歩いてきた。

「龍夜くん、こっちだよ」

「……これ、本当に必要なのか」

 ミユウはきょとんと振り返った。白い羽が揺れ、銀色の髪が肩で跳ねる。

「必要だよ。龍夜くんが、どんな力を持ってるか見るの」

「持ってなかったら?」

 自分でも嫌な聞き方だと思った。

 けれどミユウは怒らない。俺の手首を離し、両手で俺の手を包んだ。

「持ってなくても、龍夜くんは龍夜くんだよ」

「それ、答えになってない」

「うん。答えじゃないよ。でも、先に言いたかったの。水晶が見せるものが、ぜんぶじゃないって」

 小さな掌は温かかった。その言葉が慰めなのか、何かを知っているからなのか、俺には分からない。

 扉が開く。

 部屋の中央には、俺の身長より大きな水晶が立っていた。床の円形模様から光の線が伸び、水晶へ脈のように集まっている。周囲には白い法衣の長老たちが並び、歓迎の声はひとつもない。

「救世主様。御身の資質を測定いたします」

 正面の長老が告げた。

 救世主様。

 昨日まで教室にいたただの高校生に、そんな名前を被せられても、息の仕方が分からなくなるだけだった。

「水晶へ手を」

 促され、俺は水晶に近づいた。表面に映る自分の顔は、情けないほど硬い。

 指先を触れさせた瞬間、冷気が腕を這い上がる。白い光が身体をなぞるように上下した。

 やがて、水晶の奥に文字が浮かんだ。

 攻撃力 0

 魔力 0

 耐久力 0

 適性 0

 部屋の空気が止まった。

 四つ並んだゼロは、やけに綺麗だった。綺麗すぎて、胸の奥をまっすぐ殴られたみたいだった。

 誰も何も言わない。長老たちは水晶を見て、それから俺を見て、互いに視線を交わした。大きな失望の声なんてない。ただ、その沈黙だけで十分だった。

 異世界に来ても、俺は何も変わらなかった。

 剣を掲げる勇者にも、魔法を放つ英雄にもなれない。場所だけが変わって、俺は俺のまま。掌の中には何もない。

「……もう一度、測ることは」

 若い神官が言いかける。

「水晶は、同じ魂を二度誤らぬ」

 長老の声が静かに落ちた。

 魂までゼロだと言われたようで、俺は唇を噛んだ。その時、隣でミユウが一歩近づく。

「龍夜くん」

 名前を呼ぶ声は小さかった。でも、逃げていなかった。

 ミユウは水晶ではなく、俺だけを見ていた。青い瞳が揺れている。笑っていない。けれど目を逸らさない。

「だいじょうぶって、今は言わないよ」

「……なんで」

「だって、だいじょうぶじゃない顔してるもん」

 胸の奥が、変なところで詰まった。

 子どもみたいな言い方なのに、雑な慰めよりずっと刺さる。ミユウは俺の袖をきゅっと掴んだ。

「でもね、わたし、龍夜くんを間違いだったなんて思わない」

「水晶は違うって言ってる」

「水晶は、今を見ただけだよ。明日は、まだ見てないよ」

 その言葉に、俺はもう一度水晶を見た。

 四つのゼロは変わらない。けれど、今だけを測った数字なら。

「この数字は、未来じゃないんですね」

 俺が長老へ問うと、長老は静かに頷いた。

「現在の資質を示すものです」

「なら、まだ決まってない」

 声に出すと、震えていた膝が少しだけ止まった。

「俺は救世主なんかじゃありません。今の俺に、攻撃力も魔力も耐久力も適性もない。それは認めます。でも、何もないなら、ここから作るしかない」

 その時、ミユウの指が震えていることに気づいた。さっきまで俺を引っ張っていた小さな少女が、今は自分を支えるみたいに俺の袖を握っている。

「ミユウは、この世界でどういう立場なんですか」

 長老は少し間を置いた。

「彼女は、天界の白翼を継ぐ者。多くの者が、その光を頼りにしております」

 ミユウは黙ったまま、うつむいた。

 その横顔を見た瞬間、胸の奥に別の重さが落ちた。

 守られているだけの子じゃない。誰かに頼られて、笑って、大丈夫を配っている側なのだ。こんな細い手で。

「さっき、測るものが全部じゃないって言ったよな」

 俺が言うと、ミユウが顔を上げた。

「うん」

「俺も、それを信じる」

 ミユウの目が少しだけ丸くなる。

「だから、俺は逃げない。少なくとも、この子を置いて逃げたりしない」

 長老たちの視線が集まった。

「まずは、ミユウを守れるようになります。剣を教えてください。魔法が無理なら、魔法以外を。攻撃力がゼロなら、身体の動かし方を。耐久力がゼロなら、倒れない立ち方を。適性がゼロなら、何度でも試せる場所をください」

 言い切ったあと、部屋はしばらく静かだった。

 水晶の光が揺れ、やがて文字が薄れて消える。

 長老が杖を床へ置いた。

「測定は終了いたしました。瀬野龍夜様、明朝より基礎訓練の場を用意いたします」

 救世主様ではなく、名前で呼ばれた。

 それだけで、少しだけ息がしやすくなった。

「容易ではありません」

「分かっています」

 本当は、分かっているなんて言えない。けれど、今日で終わりではない。それだけを握ることにした。

 測定の間を出ると、ミユウは今度は俺の手首を引っ張らず、隣に並んで歩いた。

「龍夜くん」

「ん」

「逃げないって言ってくれて、ありがとう」

「まだ守れてない。ありがとうは早い」

 ミユウは少し考え、それからぱっと顔を上げた。

「じゃあ、予約!」

「予約?」

「本当に守ってくれた時の、ありがとう。先に取っておくの」

「高くつくぞ」

「うん。ちゃんと払うよ。明日、訓練場まで案内する」

「それ、支払いじゃなくて追加任務だろ」

「じゃあ、朝ごはんもつける!」

 その言葉を聞いた瞬間、腹の奥が小さく鳴った。

 ミユウが目を丸くする。俺は咳払いでごまかした。

「今のは神殿の床だ」

「床はお腹の音しないよ?」

 ミユウがくすっと笑う。

 ゼロの重さは消えない。水晶の冷たさも、まだ掌に残っている。それでも、隣で笑う声があるだけで、足元の床は少しだけ確かになった。

「明日、俺が無様に転んでも笑うなよ」

「笑わないよ」

「本当か」

「たぶん」

「たぶんって言ったな」

「でも、手は貸すよ」

 窓の外には、元の世界とは違う空が広がっていた。月が二つ、雲の向こうに浮かんでいる。

 俺は何も持っていない。

 それでも明日、剣を握る理由だけはできた。

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